Heaven Knows I’m Miserable Now

この曲はジョニー・マーが1984年1月2日にニューヨークのホテルの部屋で、その日セイモア・スタインが買ってくれた赤いギブソンES-355ギターで1時間で書き上げたもの。 この曲を完成させた後、彼は同じ晩にB面「Girl Afraid」の曲を書き、この2曲を「ペア」と考えている。

この曲は、プロデューサーのスティーブン・ストリートとバンドとの関係の始まりを示すものとして注目されている。 アイランド・レコードのフォールアウト・シェルター・スタジオでの「社内エンジニア」としての最初の仕事のひとつとして、ストリートはこのセッションのエンジニアリングを担当した。 HitQuartersのインタビューによると、彼はこのバンドのことをよく知っており、期待に胸を膨らませていた。「ちょうどその頃、Top of the Popsで’This Charming Man’を演奏している彼らを見て、当時の音楽好きな他の人たちと同様に、彼らにとても興奮しました」。 ストリートは、彼の熱意がモリッシーとジョニー・マーに伝わったのだろう、彼らは彼の名前と電話番号を教えてくれたそうだ。 その後のレコーディング「William, It Was Really Nothing」には参加しなかったが、モリッシーとマーが初めてプロデュースした次のアルバム『Meat Is Murder』のエンジニアを依頼された。

ジャケットには、1961年にイギリスでサッカーくじで大金を当てたものの、それを急速に浪費したことで有名となったヴィヴ・ニコルソン(Viv Nicholson)の姿がある。 曲のタイトルはサンディ・ショーの1969年のシングル「Heaven Knows I’m Missing Him Now」に触発されたもの。

このシングルは、B面の「Suffer Little Children」が1963年から65年のムーア人の殺人事件をテーマにしていたため発売当初は物議を醸していた。 1984年3月31日にチャンネル4の「Earsay」でこの曲を演奏した際、バンドがスタジオで演奏している映像と、モリッシーがグラジオラスの花を手やズボンの後ろポケットに入れてマンチェスターの荒れ地を歩いている映像が混在していた。

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